5日に美容家のカリスマ、佐伯チズさんがALSのため亡くなりました。
3ヶ月前ご自身で報告され、これからも頑張る、精一杯生きると言われていたのに、まさかその3ヶ月後に亡くなるなんて、本当にショックでした。
私の主人はALSを宣告されて2年で亡くなりました。初めは足がひっかかるという程度だったのに、徐々に動かなくなり、足の補助具、杖、そして車椅子になりました。
私は宣告を受けた時から、もう仕事は辞めて、家でゆっくり暮らそう!と何度も言いました。
しかし主人は動けて自分が役に立つうちは仕事を続けたい、社会の役に立ちたい、その方が気も紛れる。と言って、結局定年退職まで働き続けました。
最後はみなさんに盛大に送別会をしていただき、笑顔で帰ってきました。
そして私に「長いこと支えてくれてありがとう。これからお世話になります」と言いました。
そこからは介護サービスや障がい者サービスを使って、みなさんに助けてもらいながら家での介護が始まりました。
しかし症状はどんどん進行していき、弱音ひとつ吐かなかった主人ですが、右手が動かなくなった時は夜中に過呼吸を起こし救急車で運ばれました。
そこからは胃瘻を作ったり、入退院の繰り返しでした。そして一番心配していた肺活量が低下し始めた時に、気管支切開の決断をすることになりました。主人は生きてさえいれば、いいこともきっとある。孫の成長も見れると、呼吸器をつけることを選択しました。
気管支切開も簡単なものかと思っていましたが、主人は直後に気胸になり、話せないストレスから重度の十二指腸潰瘍にもなりました。
入院した時は車椅子だったのに、帰る時はストレッチャーでした。もう座ることもできなくなったのです。
そして他の専門施設に転院して2ヶ月目に痰が気管支の奥で詰まり窒息し、そのまま脳死の状態で亡くなりました。
この時、次の日に呼吸器をつけるための受診が決まっていたのです。なんで?どうして?と何度も私は悔やみました。
主人の死を受け入れることができなかったのです。
ALSは難病指定の病気で、まだ治る薬も開発されていません。病気を診断してくださる先生も少ないと聞いています。なので日本で1万人の患者さんがいると聞いていますが、本当はもっと沢山の方が罹患されているのではないかと思います。
急に喋りにくくなって喉から始まる人、手から始まる人、主人のように足から始まる人と、発症の仕方は人それぞれです。
呼吸器をつけ、うまくコミニュケーションをとって暮らしておられる方も沢山いらっしゃいます。
ALSは体中の筋肉が衰えて動けなくなっていくのに、頭だけはしっかりしているという、本当に残酷な病気です。
佐伯チズさんもさぞ無念だったことでしょう。
心からお悔やみ申し上げます。
主人には宣告されてから2年の歳月がありました。その間にフィンランドにもバルト三国にも行きました。その時は車椅子だったので、みなさんに助けてもらいながらの旅でした。
しかし、旅の主人の写真は最高の笑顔をしています。私は中世のガタガタ道が気になって、観光どころではなく、バルト三国は何も覚えていません。でも主人と一緒に行った最後の旅行です。
行って本当に良かったと思っています。
今日こんな私的で暗いブログを書いてしまいましたが、世の中にはまだ解明されてない難病が沢山あります。
少しでも身体に異変を感じたら、すぐに病院に行って下さい。今はコロナで病院に行きにくいこともありますが、少しでも早く発見してもらうことが大事です。そのうちきっと薬も開発されるはずです。
佐伯チズさんの訃報を知り、どうしてもこのことをみなさんにお伝えしたくて長々と書きました。
できることなら、元気に過ごしたいですね。
モモ母より。